魂(プラーナ)の遷體論 ―人類の未来への可能性―
著: 杲 康隆 (ひので やすたか、1971年7月13日 - )
文化人類学者、民俗学者。口承文芸論、妖怪論、シャーマニズム、民間信仰などを研究。兵庫県出身。
{1}. 序文
{2}. [魂]について
{3}. 科学的に[魂]とは?
{4}. [魂]の移動の具体的な方法
{1}. 序文
私はここにひとつの研究を行っている。それは人間の魂についてだ。人はみな魂をその身体の内に抱えている。そして生命活動を停止した際にその魂は体から抜け落ちるといわれている。これは非常にスピリチュアルで、宗教的な表現と思われがちだが、目に見えないだけで、この世界に実際に存在する事象なのである。まずはこの魂について説明しよう。辞書によると次のように記されている。
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たましい〔たましひ〕 【魂】
1 生きものの体の中に宿って、心の働きをつかさどると考えられるもの。
古来、肉体を離れても存在し、不滅のものと信じられてきた。 霊魂。たま。
「―が抜けたようになる」「仏作って―入れず」
2 心の活力。精神。気力。「仕事に―を打ち込む」
3 それなしではそのものがありえないくらい大事なもの。 「刀は武士の―、鏡は女の―」
4 (多く「…だましい」の形で)そのもののもつ固有の精神。 また、気構え。「大和(やまと)―」「負けじ―」
5 思慮。分別。 「いみじう―おはすとぞ世人に思はれ給へりし」〈大鏡・道隆〉
6 素質。天分。才気。 「筆とる道と、碁うつこととぞ、あやしう―のほど見ゆるを」〈源・絵合〉
7 《武士の魂とされるところから》刀。 「わが夫(つま)のこの―、婿引出(ひきで)に」〈浄・彦山権現〉
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《参照》
心を司るものとされ、命のように大切なもの、気構えや、感情を語る慣用句としても利用される。
さて、これは日本の考え方によったものである。この魂の認知についてどのような文化、宗教の中でも語られている。
私は、この魂についてこの以下のような可能性見出している。
私は、この魂についてこの以下のような可能性見出している。
自分の精神エネルギー、魂。仮にこれを古代インドの呼称より拝借し、プラーナと呼ぶ。
これをデータ化し、別の人間にコピーする事が出来ないか。
肉体は滅ぶが、プラーナは永遠に存続させることが出来ないか。
つまり、「精神の不死」を可能にするということだ。時間は距離である。
これは寿命に囚われた我々人間の歩幅を広く取る行為といえるだろう。
私はこの精神の不死の可能性、「魂〈プラーナ〉の遷體論」をここに提唱する。
{2}. [魂]について
まずは宗教的な側面からこれを見てみよう。多くの宗教においては、人は死んでも意識(あるいはそれに近いもの)は、霊魂となって残ると説く。霊魂は生前暮らしていた土地に鎮まるとも、黄泉のような霊魂の住まう世界に旅立つともいう。霊魂の存在は、しばしば道徳・倫理などと結びつけて語られる。キリスト教などが説くように、生前の行いに応じて天国や地獄などに送られるともいわれる。あるいはヒンドゥー教のように霊魂は生前の行いに応じて転生すると説く宗教も有る。仏教の一部(大乗仏教)でも、六道の間を輪廻すると説いている。また、魂、精霊は万物に宿ると考える見方も少なくない。
――次は具体的な事例を7つほど見てみよう。
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①古代エジプト古代エジプトでは、霊魂は不滅とされ、死者は復活するとされていた。死と再生を司るオシリス神が尊崇された。自然界のあらゆるものに霊が宿るとされ、霊にも人間と同様に感情や弱点、欠点があると考えられていた。定められた呪文を唱えたり、定まった儀式を行うことによって、死者に「再び魂を入れる役割」の神官、祭司が存在した。古代エジプト人たちの霊魂観について解説する。古代エジプト人たちは人間の霊魂が5つの部分からなると信じていた――「レン(名前)」、「バー(魂)」、「カー(精霊)」、「シュト(影)」、「イブ(心臓)」である。これら魂の構成要素の他に人間の体「ハー(人間の体)」があり、これは時には、複数形で「ハウ」と呼ばれ、体の各部の集まりをおおよそ意味した。他の魂には「アーク」、「カイブト」、「カート」があった。そして死者の「バー」のよりどころとして、死者の体をミイラにして保存した。死者の「バー」が無事、冥界に渡り、将来死者が甦るようにと、ミイラ作成期間の70日ほどの間、祭司は何度も大量の呪文を唱えた。かの有名な『死者の書』(死者の霊が肉体を離れて冥府に至るまでの過程を描いた書)が死者とともに埋葬されることもあった。ピラミッド・テキストと呼ばれる初期の死者埋葬のテキストでは、死者が行く先は、天の北にある暗黒の部分であり、そこで北極星のまわりの星とともに、「アク(霊)」として永遠の命を生きる、とされた。
②古代ギリシャの哲学プラトンは対話篇において、霊魂の働きに着目しつつ探求した。『パイドン』および『メノン』においては、永遠の真理(イデア)を認識する方式として想起論を提示し、その前提として霊魂不滅説を唱えた。
③キリスト教など旧約聖書では、ネフェシュ(ヘブライ語で「咽喉」の意)と表現される。これに聖なる霊(ルーアッハ。風、息の意)が入って、預言がなされるという思想があった。欧州においては人間を構成する要素は霊魂(アニマ、ANIMA)、精神 (SPIRITVS) 及び肉体 (CORPVS) であり、錬金術では、これらは三原質と結び付けられて考えられていた。また、3という数からキリスト教では三位一体に比せられることも多かった。霊魂と精神は、肉体に宿り、肉体が滅びると精神と霊魂は分かれると考えられており、霊魂と精神は肉体という泉を泳ぐ二匹の魚に擬せられたこともあった。ここにおける霊魂は人間の本能のようなものであり、成長することはないと考えられていたのに対し、精神は理性のようなものであって成長するものであるとされていた。
④古代インド『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダ聖典(紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書)では、人間の肉体は死とともに滅しはするものの、人間の霊魂は不滅である、とされていた。同聖典では、人間の死後に肉体を離れた霊魂は、火神アグニなどの翼に乗って、最高天ヤマの王国にたどり着き、そこで完全な身体を得る、とされた。後のウパニシャッド(サンスクリットで書かれたヴェーダであり一般的に奥義書と訳される)においては、死者の魂は、解脱する人の場合は"神道"を通ってブラフマンに至り、善人の場合は祖道を通って地上に再生する、と説かれた。これを「二道説」と呼ぶ。そして解脱することがウパニシャッドの目標となった。霊魂を示す言葉としては「アス」「マナス」「プラーナ」「アートマン」といった言葉が使われた。その中でも「アートマン」はウパニシャッドの中心概念となっている。
⑤中国の宗教(道教など)中国の道教では魂と魄(はく)という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)ともいう。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。民間では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望からなる。また、?屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる。(三魂は「胎光・爽霊・幽精」「主魂、覺魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀?(陰)、容?(吝賊)、非毒、除?(陰穢)、臭肺」とされることもある。)
⑥日本の仏教ブッダは「無我」を説いて霊魂を否定したともされ、近年の日本の僧侶や仏教関係者によって執筆された仏教入門書等ではそのような図式で説明されていることが多い。仏教では、六道の輪廻からの解脱を目的としている。 死後、成仏(解脱)する事ができた者は、諸仏の持つ浄国(浄土)へ生まれ変わる。出来なかった者は、生前の行いにより六道のいずれかに生まれ変わる。その生まれ変わるまでの期間を中陰と呼ぶが、中陰時の立場を、民間信仰では霊魂と混同されることがある。
⑦日本の古神道(民間信仰)や神道古神道では、森羅万象にマナが宿るとする。南洋の諸民族、中国などに共通した思想があった。 折口信夫『霊魂の話』によれば、肉体から容易に遊離し、付着すると考えられた。優れた事績を残した人物の霊魂は、尊と同等の人格神、あるいはこれに相当する存在となるとされる。国家神道で明治以降、戦死者の魂のことを敬っていう場合は特に「英霊」と呼んでいる。その区別や概念も曖昧であり、それを分類や定義付けることなく享受してきた。ただし、強弱や主客といえるような区別は存在し、大きいもの(巨石・山河)や古いもの長く生きたものが、その力が大きいと考えると同時に尊ばれた。日本神話にある、人格神などの人としての偶像を持つ神々も信仰の対象とし、「それらの神がその他の森羅万象の神々を統べる」という考え方に時代とともに移っていった。 また、神(霊魂)には荒御魂や和御魂という魂の様相があるとし、それぞれ「荒ぶり禍をもたらす魂」と、「和ぎり福をもたらす魂」とされる。
[神霊の分類]
・尊=みこと:日本神話にある人格神(人と同じ姿かたちと人と同じ心を持つ神)
・霊=チ:霊魂の基本となる言葉。血や乳(チ)に通ずるという。
・魂=タマシヒ:強い付着性、遊離性を持つマナ
・荒御魂=アラミタマ:柳田國男『先祖の話』によれば、新たな御霊つまり最近死んだものの魂
・霊=ヒ:全ての活力の元であり、優れて威力のあるもの。 白川静『字訓』によれば、
中国で生命の原動力が雨に求められたのに対し(なので雨の字がつく)、
日本では太陽光から来ると考えられたので、日と同じヒと呼ばれる。
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《参照》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%AD%82
――このように考え方により、詳細な分類もされているのである。
霊魂はオカルトや迷信だと一蹴されてきたが、もし根拠のないものであれば、ここまで多くの文化で偶然の一致をもたらすことができるだろうか。これらは、感じ方の差異はあれどやはり実在するものだと、経験的に我々が気づいていた結果であろう。そして、これらの考えの中に、面白いもの、特筆すべきものが存在する。
――
①欧州の考え方、「霊魂(アニマ、ANIMA)、精神 (SPIRITVS) 及び肉体 (CORPVS) であり、錬金術ではこれらは[三原質]とする考え方がある。
②中国では「陰陽二気の陽気の霊を魂といい,陰気の霊を魄といい、魂は精神,魄は肉体をつかさどる。」する。中国儒学では「魂は天へ昇り、魄は地へ帰る」と言う言葉があるように、魂と魄(はく)という二つのが存在し、魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指し、合わせて魂魄とした。魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。
③古代エジプトでもバー(魂)をよりどころに「定められた呪文を唱えたり定まった儀式を行うことによって死者に再び魂を入れる役割の神官、祭司が存在した。」
④日本の古神道では羅万象にマナが宿り、霊魂は肉体から容易に遊離し、付着する。 また、大きいもの(巨石・山河)や古いもの長く生きたものが、その力が大きく、尊ばれた。 さらに、大きな魂はそれを司る神として神格化された。 こうして考えると、我々人間は肉体と精神を別々のものとして存在させていることがわかる。また、死んだのち、魂(スピリット、魂(こん)、バー)を体に、もしくは別のものに入れることで憑依、復活させるといった考え方が存在している点だ。
中国において,死者の霊魂を意味し 人間は陽気の霊で精神をつかさどる魂と,陰気の霊で肉体をつかさどる魄(はく)との二つの神霊が、死後、魂は天上に昇って「神」となり、魄は地上にとどまって「鬼」となると考えられた。
「鬼」は「神」とともに超自然的な力を有し,生者に禍福をもたらす霊的な存在としたが、中でも天寿を全うすることができずに横死した人間の鬼は、横死した強い霊力を有し,生者に憑依し祟をなす「悪鬼」となるとして恐れられている。
屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる。またブードゥー教のゾンビなども、死んだ人間の体のみを意識を奪い奴隷とする呪術として実在する。これと日本の神道において、荒御魂、怨霊となった者を神として祭り上げる。
これを御霊信仰というが、人格を持った超自然的な力を制御する神になるのだ。やはり魂は実在する。そして目に見えずとも、物理現象を引き起こし、超常の能力を発露させる可能性もあるということだ。
――
《画像1》オカルトに出てくる、人魂、狐火、怪しく燃える炎、または光を伴うものとして描かれることが多い。
《画像2》鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:SekienHitodama.jpg
《画像》
《画像》魂の構造
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/069ningen1.jpg
《参照》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0
つぎに、この魂について科学的に見ていきたい。
■魂の重み
1番有名な例を挙げるならば、「人間の魂には21gの重さがある」ということだろうか。
アメリカ合衆国マサチューセッツ州の医師ダンカン・マクドゥーガル(Duncan MacDougall、1866年-1920年)は、、人間が死ぬ際の体重の変化を記録することで魂の重量を計測する実験を行った。彼は6人の患者と15匹の犬を使い、死ぬ時の体重の変化を記録しようと試みた。この実験結果は測定のずさんさや標本数の少なさなどから科学的な信憑性は認められていない。マクドゥーガル医師は患者のうち2名では計測に失敗したと自ら認めている。また、死の瞬間をどう設定するか、などの測定の基準もはっきりとしていない。しかし、これを契機として「人間の魂の重さは21グラムである」という説が広まった。この21グラムという値は6人の患者での平均結果と言うわけではなく、一人目の患者での結果である4分の3オンス(およそ21.262グラム)に由来する。2003年に制作された映画『21グラム』のタイトルは、「人間の魂の重さは21グラムである」というこの説を元にしている。その後別の実験において、博士の死後すぐに密閉されたカプセルに入れて重量測定を行うように助手に依頼をした。彼の死後、助手は遺言通りカプセルに入れすぐに完全密封を行った。密封時の体重は68482gそれから8時間かけて68454.2gになり、それ以降(24時間後まで計測)現減少しなかった。27.8gどうしても足りなかったのである。前回の実験とことなり、密封カプセルなので水分が蒸発しても重さは変わらない。結局、約68.5kgの彼の魂の重さは約28gとなり、現在の科学では無くなった21gを魂の重さと認めざるをえなくなったのである。
《参照》
■超心理学における幽体離脱
幽体離脱(ゆうたいりだつ)とは、生きている人間の肉体から、心・意識が抜け出すという心霊主義での現象をさす。幽体離脱とは、生きている人間の肉体から、霊魂(魂や意識)が、その霊体と肉体との中間に位置する幽体(アストラル・ボディー)を伴って抜け出すという、心霊主義での現象であるとされ、または、その概念や考え方をも含むもの。抜け出した非物質(または、半物質)でできた「幽体」(または「霊魂」「霊体」など)は、機能の仕方によっては、生霊(いきりょう)とも呼ばれたりする。霊的なものは医学的に証明されるのは難しく解明されていないが、経験者の体験談がほぼ一致するためこの存在は確実といえる。基本的に金縛りを経て幽体離脱をする。 離脱したときに行動できる距離は限られているケースが多く、本体から一定の距離まで離れると視界が悪くなることがある。また、これはアストラル投射ともいい、分離したアストラル体が物質界とは別の次元であるアストラル界を旅することを指す。オリヴァー・フォックス、シルヴァン・マルドゥーンといった、20世紀前半に体外離脱体験を報告した人々や心霊現象の研究家らは、これを projection of astral body(アストラル体の投射)、exteriorization(外在化)、bilocation(バイロケーション) と呼び、アストラル体が遊離する現象と解釈した。この時に身体から分離するもう一つの身体を「アストラル・ダブル(星幽複体)」ともいう。分離中、アストラル体と肉体は銀色の紐でつながっているとされる。これは旧約聖書「コヘレトの言葉」第12章6節の「白銀の糸」に付会されることもある。一部の魔術団体が行っているアストラル神殿での集団儀式やアストラル・イニシエーションといった魔術作業はこうした技法によるものである。
《参照》
■細胞記憶
人間の思い出や癖や嗜好というのは(精神に由来するものつまり魂のかけら)、脳だけではなくひとつひとつの細胞にも記憶されているのではないか、という説がある。実際に心臓などの臓器移植をした際に、施術者の知らない記憶を持つことがある。つまり心臓んじょ臓器提供者の記憶が転移するということだ。時には正確すら変わることがあるという。これは前述した古代エジプトの考え方、魂は5つに分かれ「イブ(心臓)」に宿るの考えが正しいことを示しているのではないだろうか。最も重要なのはバー(魂)ではあるが、このように臓器移植をしただけでも、万物に宿る魂が一部でも他人に憑依、転移することが考えられるのだ。
《参照》
■チャネリング
魂は電波のような生物特有の波長を持っている。それを波動といい、これにより魂の交感を行い、情報を伝えることができるこれがチャレリングである。機械で発する無機質な波動である電波の受信機はラジオやテレビ等の非生物だが、魂が発する生物的な波動であるチャネリングの受信機は同様の属性を持つ生物の魂なのである。このことからも魂は物質的に捉えることがでいると得るだろう。第六感や、虫の知らせは、無意識のこの働きであるし、動物が災害前にそれを察知しするのは、人間よりもより地球や自然に近いため、星の波動を受け取ることができるからだ。人間も、巫女やシャーマンと呼ばれるものは、トランス状態で魂を開放すると、その波動を受けることができる。これが予言の仕組みと考えられている。前述したが、万物に宿る魂は、より大きなモノに宿るものほど強大である。意識を持った地球の魂からの交感はまさに神との交信にほかならない。
《参照》
科学では証明できないが、確実に存在する事象である。前世の記憶についてである。イアン・スティーヴンソンによる面接調査では、転生を扱った学術的研究の代表的な例としては、1961年から生まれ変わり事例の調査を始め,最終的に2000 例を超える「生まれ変わりを強く示唆する事例」を収集した。そして考察の結果、スティーヴンソンは最終的に,ある種の「生まれ変わり説」を受け入れている。
《参照》
また、この日本にあった不思議な事例が「生まれ変わりの村」である。著作家の森田健が、中国に存在する「生まれ変わりの村」を取材した記録がある。村民の記憶によれば、彼らのうち多くの者が肉体の死後、同じ村に生まれ変わるという。前世の記憶を持っているために、生まれながらにして複雑な大工仕事が出来たという男性の例や、性同一性障害に悩まされたという女性の例などが存在する。また、前世と今世では「私」というアイデンティティーは同一のまま保たれるが、温和さや残忍さといった性格は生まれる肉体により変化する、と複数の村人は語っている。
《参照》
■記憶のデータ化
南カリフォルニア大学のプレスリリースによると、同大学・医用生体工学学科のセオドア・バーガー(Theodore Berger)教授が、海馬(左画像) という脳の長期記憶を司る部位の機能を模倣したチップを使い、ラットが学習した記憶を複製することに成功。また脳につながれたスイッチを「On」することで長期記憶を復元し、「Off」にすることで忘却させることができたそうだ。ここからさらに忘却したラットにエンコードした記憶を再インストールするとこもできたという。また、このデバイスをラットに繋いだ状態で学習を行ったところ、ラットの記憶能力を向上させることにも成功したという。さらに、ハーバード大学のGeorge Church博士らが、DNAを利用した記憶媒体で100%のデータ復元率を実現したという実験例もある。ドミトリー・イツコフ博士の『Avatar』プロジェクトでは人間の脳を持ち、永遠に人間の意識を保つロボットを開発にほぼ成功しているという。SF映画でいうような、記憶、魂の移動は既にこの段階にある。
《参照》
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{3}. 科学的に[魂]とは?
{4}. [魂]の移動の具体的な方法
上記のような、科学的な見地からも「魂の存在は明らか」である。
そして、魂は物質的に移動する可能性が高い。
つぎに、具体的な方法についてである。
■魂のデータ化
近代の可能性から考えると、前述した方法、科学的な手法でこれを実現することができるだろう。
■憑依
手法としては呪術と呼ばれるものが多いだろう。憑依は太古の昔から現代まで、また洋の東西を問わず見られる。すでに人類の歴史の初期段階から、トランス状態に入り、有意義な情報を得ることができるらしい人がわずかながらいることほ知られていた。
部族社会が出現しはじめた頃、憑依状態になった人たちはいつもとは違う声で発語し、周囲の人々は霊が一時的に乗り移った気配を感じていたようである。初期文明では憑依は「神の介入」と見なされていた。日本では平安時代の資料によく登場するが生霊による憑依など、そのまま重いの強さのみで相手に自身の魂を上書きする好意である。非常に強力なチャネリングの一種と考えられるだろう。
ただし、これを実行するには、風水や陰陽道に優れた地形など、外的要因が大いに重要となるだろう。
《参照》
■ウォーク・イン
ウォークインとは事故や病気などで身体を離れた人と、入れ替わりで肉体に宿る霊的な存在である。自己や病気で生死をさまよった人が、意識を取り戻したとき、別人のようになっていたり、ある種の超能力を持っていたりする事例がこれに該当する。
こういった事例は近年枚挙にいとまがない。例えばイヴリン・ウォーは『ギルバート・ピンフォードの苦行』という本を書いたが、これは小説の形で提示されてはいるものの、ウォー自身は、これは自分に実際に起きたこと、とテレビで述べている。ウォークインの存在は、様々あるが、素性を明かす者の比率が宇宙霊である事が多い為に、宇宙人による人間への憑依現象といったように思われる事が多い。
だが、実際この種類の憑依現象は、宇宙人に関わらず、高次の霊的な存在や、天使的な存在によって行われることも多い。しかし、この高位の存在が実在の人物である可能性は否定できない。なぜならば、神道において、御霊信仰こそ、人間=怨霊を神の次元へと上昇させる技術であるからだ。どのようにこのウォーク・インを行うのか、具体的方法はいまだ不明だが、この実例の多さはまさに、その手法が確立している証拠ではないだろうか。
[参考]
ワンダラーを簡単に説明すると、地球外の星々で生まれ変わりを繰り返してきた魂をさす。
宇宙人の過去世を持つ人たちが地球に生まれ変わってきた起源は、地球の太古までさかのぼることが出来、
様々な時代に大きな新規参入があり、それに関連するような文献を神話や古文書から発見することができる。
この魂の移植こそ歴史のミッシングリングを補う手がかりであると、近年学者のあいだでも話題になっている。
もちろん、時代にも地球の輪廻のサイクルに新規参入してくるワンダラーは沢山存在しているのだ。
《参照》
http://www.naturalspirit.co.jp/workshop/zaraziel/SP-WI.htm
http://blog.iruka.holy.jp/?eid=835
http://www.ac.auone-net.jp/~la-noche/kaguya5.html
http://arcangel.jp/Spiritual/07Gaia_ascension/04.html
以上のことから、私は、は
『魂の継承、永遠の人格維持は決定的なもの』と考える。
しかし、現代科学以外の方法がわからないのが口惜しい。歴史を照らし合わせてみても、時代を超え、明らかに同一人物と思われる存在が確かにいる。仙術か、錬金術か、太古から魂の継承は行われていたはずである。
しかし、脳に直接電極をさせない時代にいったいどのようにしてそれを行っていたのだろうか。やはり呪術的な手法を用い、通常では考えられないほどの出力でチャネリングを行ったのだろうか。すべてはワンダラーのもたらした未知の技術の成果か。
この情報が溢れるこの時代、どれだけの時間を研究に費やしても尽きることがない。
できることならば私も次代の体を手にいれ、
悠久の時を知識の研鑽と蓄積に費やしてみたいものだ・・・。
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